由緒
福岡県朝倉市内水町の通りに面して、浄土宗の西谷山甘露院 法泉寺がございます。
こちらは鎮西派筑後善導寺の末寺であり、現在は第38世、佐々木寿彦住職が務められています。
法泉寺の由緒によりますと、第92代伏見天皇、および北条貞時の時代である永仁4年(1296年)、法相宗の寺院として菩提寺字西谷に創建されたと記されていますが、その詳細は明らかではありません。
また別の一説では、後土御門天皇の延徳元年(1489年)、当時の開山である安蓮社登誉上人が檀信徒の帰依を受けたことにより創立されたとも伝えられています。
ただし、延徳元年は上人が往生された年であるため、実際の開基はもう少し遡るものと考えられます。
さらに伝説によれば、当寺はもともと菩提寺邑にありましたが、後に現在の地へ移されたといわれています。
ここ甘木の町は、古くから秋月氏と豊後大友軍による戦乱の中心地であったため、戦火による数回の火災に見舞われました。
多くの家屋や寺院が焼失するなか、法泉寺も例外ではなくその都度被災しており、寺の重要な由緒書なども焼失してしまいました。
現在の境内には、観音堂、納骨堂、鐘楼堂、山門などが建立されています。
本堂の左側には「孝子 鞍崎嘉右衛門、妹はる、父嘉兵衛」の碑が建てられており、お墓については開基の上人から第37世までのものと共に、国道386号線沿いの持丸にある「西谷霊苑」に移され、法泉寺において供養が行われています。
法泉寺の沿革について
お寺の建物(伽藍)につきましては、創立以来440年が経過した際、町内が全焼するほどの大火に見舞われ類焼してしまいましたが、その後、中興上人によって再建されました。
その後、再び建物が老朽化し大破するに至ったため、明治12年に第34世・法誉上人が本堂を再建いたしました。
また、鐘楼、山門、庫裡書院、および観音堂については、第35世・演蓮社音誉上人の代に改造・再築が行われています。
昭和13年3月13日には、現住職の祖父にあたられる第37世・実蓮社行誉良阿無言達寿上人が入山されました。
上人は山門西側の墓地を整理されたほか、地方から進出された檀家有志の方々の支援を受け、山門西側に4軒の貸屋を新築されました。
続いて境内の庭園化を進め、共同納骨殿「蓮華蔵」ならびに庭園を新たに築かれたと記されています。